2009年12月10日
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東京の東部と西部では文化の断絶があるか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 あまり船には乗らないわけですが、水、船、橋などには興味があります。

 それにも関わらず、クルーズ物の企画にはあまり興味が持てません。

 その理由を以下のように解釈していました。

  • 私は時間に拘束されたくない。事前に予約を入れて指定の集合時間に行って長時間特定の場所に拘束されるなど、御免である
  • 冒険指向においては東京のどこにでも(場合によっては横浜付近でも)電車で行くが、基本的には徒歩が前提である
  • 私は「住宅地派」である。住宅地を歩いてこそ楽しい

 しかし、やはり橋脚ばかり撮ってしまった - 東京エスカレーターを見ているうちに、別の理由があることに気づきました。

 つまり、東京東部と西部では文化の断絶があるということです。

 より具体的に言えば、以下のように言えます。

  • 東京西部において「水、船、橋」のかなりの割合は過去形であり、痕跡を歩いて探す行為が当たり前である。現役の川であっても、本来の流路の跡を探す
  • 東京東部において「水、船、橋」とは現在進行形の事象であり、まず船に乗ることから始まる

境界はどこか §

 おそらく、大ざっぱにいえば東京東部と東京西部を境界は武蔵野台地の上と下です。

 どこが分水嶺になるのかは分かりませんが、少なくとも水が乏しい高台は「東京西部」でしょう。そこは水が乏しいので、早くから農地から住宅街に転換されたために「住宅地派」が成立します。水が乏しいので、かつては水路網も充実していましたが、住宅地に必要なものは、水害の防止と上下水道です。従って、水路網は消えて無くなります。残った神田川なども船の通行に適するのは水量が多い飯田橋以東であり、それ以西、特に水量が少ない落合付近より西は滅多に船を見ません。それどころか、川の中にユンボが入っている光景すら見たことがあります。それぐらい平常時の水は少ないのです。こういう世界で、船から橋脚を見るという発想が無いのは当たり前です。

下北沢はどっちだ? §

 下高井戸の文化が「東京西部」に属するのはもちろんとして、淀橋台地以南の世界は海に直結する低地の文化ではないでしょうか。もちろん、すぐ近くの桜上水、上北沢は水に苦しんだ要素が大きく、「近い世界」のように思えますが、下北沢ぐらいまで行くと「きむらけん」さんがよく書いているように、海の近くまで視線がすぐに飛んでいきます。

 そう考えれば東部西部という分け方も適切ではなくなり、下北沢と上北沢も別文化圏になるかもしれません。たとえば、「きむらけん」さんは下北沢を起点に海に沿った大森まで話題にしますが、同じ「北沢」の名を持っている上北沢はあまり話題にしていない印象があります。

とすれば…… §

 日本も東西で全く文化が違うわけですが、東京も2つの異文化があるかもしれません。とすれば、初期の江戸が東西で争っていて安定した地域ではなく、それゆえに江戸氏が双方を掌握した後で発展が始まったという話も納得できます。

 あるいは、東京西部は理屈が前提で東京東部はもっと情緒的になれるとも言えます。東京西部は理屈をしっかり打ち立てないと水を流せない世界ですが、東部は勝手に水が押し寄せる世界です。だから、西部では玉川上水が僅かな高度差をよく流したと褒め称えるのに対して、東部では利根川の流路をよく変えたと褒め称えられるわけです。

とはいえ §

 もちろん、個人差の要素もあると思います。たとえば、私のように「文学作品」にはさほど興味は無いが、「文学者」の生き様には興味がある、といったあたりは人それぞれだと思います。

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